時にはみんなの涙も見たいものだ

− 23期生の卒部に当たって −

監督 大津 保男

春の訪れとともに、ある意味いやな季節がやってきてしまいました。それは、長い間見守ってきた君たちに卒部証書を手渡して一つの区切りをつける時期を迎えたということです。

1年生の頃からある程度の人数が揃い、県央大会初出場などで強豪相手に立派な試合をし、指導者や応援の父母に大きな期待を抱かせてくれた君たち。2年生になってからはさらに多くの仲間を増やした君たち。BJ創立20周年記念事業の年となった3年生の時には、福山伸也君のベルマーレ移籍をはじめ、メンバーの出入りが多く、チームとしての様相も変わり、その後、4年生になってもなかなか結果が出せなかった君たち。大神グラウンドで戦った松延フレッシュカップでは、フレンドリートーナメントながらも「優勝」の2文字を経験した5年生の時の君たち。

そして、井上司君をメンバーに加えてスタートした最終学年の6年生も、5月の連休中に起こったGK上新佳広君の手首骨折という思わぬハプニング。  大神グラウンドでの良いイメージがまだ残る中、同じグラウンドで行われた全日本少年サッカー大会ブロック予選の松延SC戦では、武井雄一郎君の誕生日記念ゴールも飛び出し、好調な滑り出し。しかし、続く保土ヶ谷エルフィンとの試合では、同点の後、5年生布川光哉君に代わって吉川和輝君がGKを務めたものの、小原弘也君のキックがゴールポストにはじかれるなど一進一退の息詰まるPK合戦の末の惜敗で幕を閉じました。

この時の悔しさや1学期市内大会2回戦目でのGPへの借りについては、翌月のフットサル大会でお返しし、溜飲を下げることができました。GKとして大活躍した守護神寺尾亮佑君のがんばりを生かし、毛利台・荻野・GPと強豪を敗り、準優勝という結果を出すことができましたね。

また、山中湖夏合宿で得たチームワークをバネに参加した8月の富士山ジュニアカップサッカー大会では、予選リーグの得失点差から順位を落としたものの、最終日には雨の中、全身泥だらけでみんなよくがんばり、富士桜カップ第5位と大いに健闘しました。あの時の君たちの姿は今でも目に焼き付いて離れません。

この調子で2学期以降をと願っていましたが、その後の大会では少し歯車の合わない点が出てきて、思うような試合展開ができず、また結果も出せず低迷してしまいました。そうした矢先、11月末の荻野招待では山口将司君のまさかの骨折。6年生の中でも長内辰憲君に続いての3人目の骨折でした。その長内君は、井上君や山口君を欠く中で、12月の林招待ではFWとしての経験を積み、DFの要の永島郁哉君はタイミング良いカバーを見せ、高橋明日美さんの見事なミドルシュートや上新君の久々のゴールなども生み出しました。12月末の秦野本町招待では、学年下の相手などではあったものの飯出勇太君のがんばりに触発されたか、上新君や吉川君も負けじと得点を重ね、加藤晃君の記念ゴールさらには武井君のごっつぁんゴールの連発など普段とは違う攻撃シーンが見受けられ、大いに楽しませてもらいました。

年が変わり21世紀最初の大きな大会である県選手権には、井上君や山口君も復帰し、ブロック優勝をねらえるのではとの淡い期待に反して、出だしの攻勢が10分過ぎのちょっとした失点から一転してズルズルと崩れはじめ、オフサイド気味の追加点を取られてからは、あせりもあって攻撃は空回り、守備のバランスも崩れたままとなり大量点差での敗退を期してしまいましたね。

この大会に向けてのチームづくりという観点から、11月から12月にかけての練習試合や招待試合を位置づけてきたにもかかわらず、ケガで仕方ないとは言えフルメンバーでの調整はできずじまい、さらに正月休み後すぐの試合となり、その結果が端的に現れたのか思うと、とてもやりきれない気持ちでいっぱいでした。

毎週のように雪に見舞われた1月後半には、フットサルフェスティバルで運良く決勝に勝ち残り、ここで優勝をねらって卒部の記念にでもとの思いは通じず、また南毛利サッカーフェスティバルでは夏休み頃のコンビネーションプレーを思い出させる場面もあって勝ち進んだものの、決勝トーナメントではメンバーが揃わない中でせっかくの入賞のチャンスを逃す結果となってしまい、とても残念でした。

残すところわずかですが、私たちはもちろん、お父さんやお母さんに小学校時代の思い出となるような今までで一番の感動できる最高の試合を見せてあげて欲しいと思います。そしてそれなりの結果も出してくれたらさらにうれしいことです。

負けて悔し涙を流すもよし、優勝してうれし涙を流すのもよし、全員の気持ちを一つにしてベストプレーを達成して欲しい。卒部を目前にした今そういう気持ちでいっぱいです。